釈迦の説いた因果律の大切さ

いまに始まったことではありませんが、

今まで真面目でだった子供が夏休みがあけると
突如として不良になっているケースがかなりあります。

きっかけはもちろん休み中に悪友と四六時中、
遊び歩くことにより悪い影響を受けてしまうためですが、

原因は実はそれ以前にあります。

それはどういうことかと言いますと、

普段から親が放任して子供に道徳的な観念を教えて
いないため、子供の中に人間として守るべき基本的な
ルールが育たないまま思春期を迎えるので、

前述のように悪友と接触するなどのきっかけで、
不良(として表面化)になってしまうということです。

本人は自分が不良になったという自覚は特にない
のですが・・・。

以前、私の知人(男性)にも有名な大学(理数系)を
出たのに他人に挨拶ができないために、一流企業を
退職させられた人がおりました。

わたしは、その人にレストランで食事やコーヒーを
おごったことがありましたが、

その人がお礼を言わないのでレストランを出たあと、

老婆心で

「他人に食事をご馳走されたら礼を言うものだよ」

と言うと彼は、

「なんで?お礼を言わなくちゃいけいないの?」

と言ったので、あきれてしまいました。

これなども子供の頃から算数や理科などは勉強しても、
「他人に親切にされたらありがとうと言いましょう」
ということを家庭で教えられてこなかった例といえます。

親御さんは彼を大学まで行かせても、肝心な道徳を
教えることを忘れたため、結果的に彼は実社会で
使いものにならない人間になってしまいました。

有名大学を出たのに職場を追われた彼は現在も
ニートとして生活することを余儀なくされています。

「おはようございます」や
「ありがとうございます」さえ言えれば一流企業で
働くことが出来たはずなのに・・・、

本当に惜しいことだと思います。

このように成人して社会に出たときに困らないように
子供さんは家庭でしっかりと躾(しつけ)ることが
必要です。

その躾の第一歩は低学年の場合は今述べた挨拶
(あいさつ)であることは言うまでもありませんが、

ある程度、物事が理解できる年齢になったなら、
私は子供達に「因果律」を教えてほしい思うのです。

この世の中はすべて原因と結果で成立しているという
ことです。

仏教では縁起の法といいます。

これあればかれあり、
これ生ずるが故にかれ生ず。
これなければかれなし、
これ滅するが故にかれ滅す。

原因と結果の法則を仏教ではこのように表現しています。

みかんの種を蒔けば、みかんの木が育ちやがて、みかんがなる。

りんごの種を蒔けば、りんごの木が育ちやがて、りんごがなる。

文章にすれば、あたりまえのことだと思います。

ですがほとんどの人は、実生活となるとあたりまえのことが
なかなか、できません。

たまに、わたしは道で学校帰りの小学生にすれ違うことが
ありますが、

児童は男の子も女の子も見ず知らずの私に屈託の無い笑顔で
「こんにちわ」と挨拶してくれますので

わたしも「こんにちわ」と挨拶を返します。

このような子供たちが成長したとき、どのような立派な
大人になるのか楽しみです。

何十年も前の話ですが、知人の男性が外国旅行で宿泊した
ホテルの廊下を歩いていると、

当時売れっ子のテレビタレントの高見恭子さんが歩いて
きたそうですが

全く面識がないのにもかかわらず、高見さんの方から
知人の男性に「こんにちわ」と言って会釈されたそうです。

男性は「なんで僕なんかに挨拶を?」と
思ったそうですが、

高見さんは現在も活躍されており

2015年に理想の夫婦として一般投票で選ばれる
「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」
という賞をご主人と受賞されました。

常日頃から、あたりまえのことができている人は
周囲の人からよい評価を得やすいことは確かです。

仏陀の教えは、けしてむづかしいものではありません。

あたり前の良いことを、あたり前に行いましょう。

よい種を蒔けばよい実を結ぶのだから、
未来のために良い種を蒔きましょうということです。

朱に交われば赤くなる、類は友を呼ぶなどのことわざも
これに似ています。

苦労したくない人、幸せになりたい人は、
幸せな人とお友達になればいいのです。

よい原因があってよい結果が生ずる

実に簡単な原理です。

ちなみに仏陀は弟子たちから「幸せな方」と
呼ばれていました。

幸せな人と交友を深めることで、幸せになる考え方へと
変わってきます。

考え方が変われば当然、行動のほうも幸せになるための
行動に変わってくるでしょう。

今こそ、私たちが実践して弘めなければいけないのは

この因果律の気づきです。

なぜばら現代は経済優先の社会で、欲望に打ち勝つ
ことがむづかしい人がお金を持つと悪徳に簡単に
染まってしまうからです。

「あたりまえの良いことができる人」と

「あたりまえのよいことができない人」とでは

人生の豊かさにも自ずと開きができてしまいます。

つまり本当の二極化とはこのことなのです。

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました